YAMAGUCHI::weblog

土足で窓から失礼いたします。今日からあなたの息子になります。 当年とって92歳、下町の発明王、エジソンです。

(翻訳)英語は私にとって15年にわたって悩みの種です

はじめに

Redisの開発者である@antirezが一昨日投稿したブログポストにとても共感したので翻訳しました。

世界一わかりやすい英文法の授業

世界一わかりやすい英文法の授業

僕が@antirezの文章を翻訳するのは今回が初めてではありません。RedisのドキュメントをまだRedisがバージョン2.0になったばかりの頃に日本語訳したのが最初でした。Redisドキュメント日本語化をしていた当時は翻訳しながら「ドキュメントが整っているなぁ」と感じたと同時に「独特の英語を使うなあ」という印象を受けました。その当時は彼が英語に苦労していた過去のことなど知らなかったので、こうして本エントリを読んで振り返ってみると、苦労しながら英語のドキュメントを整えた彼の労力に本当に頭が下がります。

感じることはたくさんありますが、まずは彼のエントリを読んでみてください。

英語は私にとって15年にわたって悩みの種です

ポール・グレアムがニュースサイトやソフトウェア開発者が注目している彼のブログの中で、IT関連職従事者に必要とされる英語という言語について、非常に重要な問題提起をしました。(追記:こちらも id:yomoyomo の日本語訳があります! c.f. 創業者の訛り) このエントリは「外国訛り」について触れたことやそもそもインターネット上には大げさに反応したがる人がたくさんいることから大いに賛否両論でましたが、その点は先ほど言った問題提起の中では面白くない議題なので、ここでは省略します。 重要な点は、通常誰も「英語問題」について話さない、というところです。そして私はいつもこの点で孤独に感じるのです。まるで私しか気にしていない問題のように感じるのです。なので、このブログポストで、私が英語を使ってきた中で経験してきたことを共有したいと思います。

話せば長くなります

私とsullivanがミラノにあった私の自宅で酔っ払いながら、当時取り組んでいた新しい攻撃方法を編み出そうと頑張っていたことを思い出します。あれは1998年のことで、BUGTRAQの参加者なら見ればわかると思いますが、残念な結果に終わりました:http://seclists.org/bugtraq/1998/Dec/79

ここで2行目の "Instead all others" という部分に注目してください。私はいまだに英語が得意ではありませんが、15年以上かけて上達してきましたし、sullivanにいたっては今やアメリカとイギリスの大学で教鞭をとっているぐらいですから彼は相当流暢であることでしょう。(ネタバレ注意:私はまだ流暢ではありません) さて、それはおいといて問題は、私達はTCP/IPの新しい攻撃方法を紹介しようとしていたのに、二人ともそれを英語では全然うまく書けなかったのです。 1998年の当時、私はすでに英語でうまくコミュニケーションが出来ない、英語で書かれた技術文書は労力をつぎ込まないと読めないという事実から、ものすごく制限を受けているように感じていました。 そのことから、私の頭は単純に英語を読むという作業にその50%を使い、実際に読んでいるものを理解するための力は50%以下しか残されていませんでした。

しかしながら、どこかしら、いつも英語はいいものであるということを受け入れていました。人にはいつも技術的な話題では英語を訳さなくて済むようにするアドバイスしています。その理由は、ドキュメントやソースコードのコメントに共通言語を持つことは本当に良いことだと信じていて、実際に英語で書かれた技術文書を理解するために必要なスキルを得るのは多くの人にとって単純な努力だからです。

こうして、1998年から、私は少しずつ英語を勉強して、イタリア語の場合と比較しても変わらないほどにすんなりと英語を読めるようになりました。 それどころか、イタリア語でものを書くのと変わらない速さで英語をかけるようにもなりました。書く能力に関しては極小点にあるとしても、あなたがこのブログを読んでいるという事からも、ちゃんと書けていることは証明されています。基本的に私は砕けた簡単な英語をとても速く書くことで学びました。この方法は普通の場合、プログラミングの領域では自分の考えを表現するのには十分ですが、一般的な話題について書くには不十分です。 たとえば、私は台所で見つけたものについて何か書こうと思った時に必要な単語がほとんどわかりません。あるいは、複文、仮定法などを含んだ文を書くために必要な文法も知りません。 今や私が気になっている話題では容易にコミュニケーションがとれますし、その話題に関しては多かれ少なかれ私が書いたものはみんなが理解できるので、英語を上達させなければ、というプレッシャーは少しずつ減ってきています。。。しかしながら、最近これは私が英語について感じる問題の中では小さなものだとわかったのです。

ヨーロッパ英語、あの面白い言語

なんとかして、自分の用途には快適に英語を読み書きできるようになった一方で、最近まで英語圏の国で実際にコミュニケーションをしたことがほとんどありませんでした。 それまでは、英語をいつも(イギリス以外の)他のヨーロッパの人、例えばフランス、ドイツ、スペインといった国の人々との会話に使ってきました。 いまや、こうした国々で話される英語が英語学校の授業で話される英語となっています。音声学的に言って、この英語はアメリカ英語やイギリス英語とはほとんど無関係です。 これを「BBC英語」と呼ぶ人もいますが、実際は違います。イギリス英語の文法を使っている、音声学的に非常に単純化された英語です。

その 英語によって、実際に世界中の人々が容易にコミュニケーションを図れるようになりました。基本的な文法は習得する上で容易で、数ヶ月訓練すれば話せるようになります。単語の発音はヨーロッパ内のイギリス以外の国々ではほぼ一緒です。素晴らしく便利です。

唯一の問題があって、この英語は実際の英語圏の国、イギリス、アメリカ、カナダといった英語が母国語の国とは無関係だ、ということです。

結局英語は崩れつつある

ここであなたに秘密があります。英語と世界という文脈において誰も語らない秘密です。それは「英語は音声学上、砕けた言語だ」ということです。 イタリアには長い歴史がありますが、政権が統一されたのはつい最近のことです。異なる地域で異なる方言を使っていて、皆それぞれに非常に強い訛りがありました。 1950年より前に、「TV用言語統一」が起きた時に、まだ皆それぞれ自分たちの 方言 を使っていて、イタリア語はほんの少数の人間だけしか習得していない状態でした。 私の家族がよく使っているシチリア語もイタリア語が現れる何世紀も前から存在しています。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%81%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%AA%9E

それでもなお、面白いのが、ある地域の人が他の地域の人のイタリア語、たとえばスイスの人のイタリア語でさえも理解するのは全く問題がないというところです。 イタリア語は音声学的に地球上で最も単純かつ十分な冗長性を備えた言語の一つです。事実、イタリア語は情報エントロピーが低く、単語は通常子音と母音が程よく混ざっています。 単語を発音するときに特別なルールはなく、すべての文字の発音を知っていて、いくつかある「gl<母音>」「sc<母音>」という特別な組み合わせさえ覚えておけば、99.9%の単語を初見でも正しく発音することができます。

異なる英語を話す国々から来た人々がコミュニケーションをするときに問題があるという事実が、英語が音声学的にいかにおかしいかということを示す大きなヒントとなっています。 たとえば、私や他の非ネイティブの英語話者からすると、イギリス人が口からどんなクソを垂れてるのか、さっぱり全く全然聞き取れません。北米の英語のほうがよっぽど簡単です。

英語のこの「特徴」があるので、私の訛りではなく人が私に話していることを理解する力が問題となります。これは愚見で、前者は私がもっと努力すれば直せる単純なものです。 私見ではありますが、ポール・グレアムが「訛り」について触れたのは、この点においてイギリス人やアメリカ人の良くない姿勢です。言わせてもらいますが、あなた方は私達の話していることを理解していない、私達もあなた方が話していることを理解していない、そして一度露骨に理解しようとする線を制限してしまえば、落ち着いて会話を楽しもうとする人なんてほとんどいなくなってしまいますよ。 私はイギリス人の英語を理解できないとは言いましたが、すぐに復唱するくらいのことはしますよ。

文章だけで英語を学ぶのは本当に厳しい

私の意見では、私が英語学習に時間がかかった理由のひとつは、英語を全く聴き取りをせずに読み取りの練習を始めてしまったことです。 頭の中では、大量の英単語が綴りと実際にはありもしないおかしな発音とが結びついてしまっています。 私からのアドバイスとしては、もしいま英語を勉強しているのであれば、すぐに聴き取りも始めて下さい。

Mac OS Xに付属している "say" コマンドが良い助けになります。 "say" コマンドはたいていの英単語をきちんと発音してくれます。 発音を学ばずに英語を勉強しては いけません

内向的か外向的か

英語に関する経験として最も衝撃を受けたことの一つに、英語を習得していないことがどれほど人を内向的にさせる度合いがありました。 私はイタリアという、殆どの人が外交的な国においても外交的で、シチリアというさらに外交的な土地においても外向的で、外向的という要素で構成された家族内においても外向的でした。 私は思うにいわゆる目立ちたがり屋なのです(本当はそうは思いたくないのですが、非常に外交的です)。 そして、私が英語で話さなければならなくなった途端に、コミュニケーション障壁から外交性は全く消え去り、その会議に参加したことや、誰かに紹介されることを後悔していました。あれは悪夢でした。

もう手遅れだ、英語を学ぼう

私の意見では、英語は文法が簡単なだけで、共通言語として選択するには間違っています。しかしながら現実は、すでに共通言語としての地位を獲得していて、もうその座を置き換える時間はなく、多くの努力が必要になったとしても英語をうまく話せるようになることを考えるほうがいいでしょう。 これは私がいま行っていることで、さらに改善しようとしている部分でもあります。

私が本当に英語を上達させなければならないと感じた他の理由は、10年後には私は職業としてコードを書くことはおそらくなくなって、選択肢としてIT系の管理職になる、もしくはコードを書くことを期待されていない大きなプロジェクトのリーダーとなる、のどちらかだからです。 開発者として英語が必要だと感じるとすれば、典型的なIT企業の他の部署に移って、さらには多くのプログラマをマネージメントする立場になっていくにしたがってそう思うようになるでしょう。

一方で、ネイティブの英語話者は、多くの人が英語という習得が大変な言語を本当に頑張って勉強しているということをきちんと理解すべきです。英語の勉強は趣味じゃないんです。英語を修得することは多くの人々がコミュニケーションを円滑にするために行なっている多大な尽力なんです。数週間英語を使わなくなっただけで、英語が言うに及ばないほどすぐに下手になってしまうんですから。

いつかは異なる訛りが1つの理解しやすい標準語にまとまって、それが英語話者の共通語となることを願っています。 (翻訳ここまで)

おわりに

ヨーロッパの人でも英語の習得に苦労しているという実体験を赤裸々に公開してもらえると、英語の習得に苦労している自分も励みになります。

僕もアメリカでパスポートから何から盗まれてしまっても自力で帰国するくらいは英語を使えるようになりましたが、それでもネイティブ英語話者の同僚とのコミュニケーションには苦労しています。それは英語だけではない文化の共有ができていなかったりだとか、そういう部分です。 これは英語という言語自体の習得だけではどうしようもない部分でしょう。ただ、ことITの世界の話題に関していえば、誰もが共通の文化をもってコミュニケーションが出来るわけで、その習得に労力を割くことは僕も大いに意味があると実感しています。こうやって彼のエントリをそのまま読めるわけですし。

日本には本当に優秀な技術者がたくさんいるにもかかわらず、英語というただ1点だけで損をしている事例を数多く見ているので、1人でも多くの技術者が1文字でも多くその技術を世界の人々に発信出来る日が早く来ればいいなと願っています。

追記

  • 2013.09.05 00:34 : +Jun Mukaiのコメントをもとに訂正
  • 2013.09.05 10:00 : id:yomoyomoポール・グレアムの原文「創業者の訛り」をリンクとして追加

原著者の許可