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YAMAGUCHI::weblog

土足で窓から失礼いたします。今日からあなたの息子になります。 当年とって92歳、下町の発明王、エジソンです。

「果て無き渇望」読了

はじめに

こんにちは、Go界のドリアン・イエーツです。最近暇を見ては腕立て伏せをしているのですが、 @hiroki_niinuma の推薦図書を @shibukawa からプレゼントしてもらったので一気に読みきった。 このエントリは「果て無き渇望 Advent Calendar 2013」の2週目のエントリーです。まだアメリカ太平洋時間では土曜日なのでセーフです。

文庫 果てなき渇望 (草思社文庫)

文庫 果てなき渇望 (草思社文庫)

章立て

文庫371ページの割には章立てが少ない。インタビューとエッセイが3対7といったところ。

  • プロローグ 筋肉の呪縛
  • 第1章 コンテスト
  • 第2章 女子ビルダー
  • 第3章 禁止薬物
  • 終章 生涯をかけて

ボディビルディング」はスポーツか?

本書を読みながら常に考えていたことは「ボディビルディングはスポーツなのか」ということだった。本書の章立ては上にあるとおりだが、第1章、第2章、第3章と進むに連れて、ボディビルダーの倫理観の限界に触れる内容になっている。

本書の中でも触れているように、健康促進のための「広義のボディビルディング」に関しては私も大いに賛同する。社会人になってから運動する機会が減り、30歳を目前にしてようやく重い腰を上げ習慣的な運動を始めたわけだが、「習慣的な運動」という点においてはボディビルディングは優れている点が多いと思う。自分が目指す体型をきちんとイメージして、習慣的なトレーニングを行わなければ、目標が達成できないスポーツだからだ。

しかし「狭義のボディビルディング」はどうか。狭義のボディビルディングは、皆さんがご存知の通りのフィギュア形式の採点競技で、競技において勝つためには、筋肥大を行ったり、筋繊維を見せるための減量が必要となる。選手は理想の筋肉を作るために食事を含めたトレーニングを行っているわけだが、この一連のトレーニングは、果たして「スポーツ」の域に収まるものなのだろうか。

競技ボディビルディングの「男性」性

前提として本書は日本の競技ボディビルディング界に所属する複数の選手を中心として取材を行っている。日本の競技ボディビルディングと本場米国のそれの大きな違いはステロイドを始めとする薬物の使用度合いであり、日本においては非常に強い制限がかけられている。そもそもそれらの薬物を何のために摂取するのか。ここに競技ボディビルディングのスポーツ性が問われる。

競技ボディビルディングに於いて求められるものは、筋肥大とそれを綺麗に見せるための減量だ。(バルク、カット、ディフィニションという単語が用いられる)そしてまず必要となるのが筋肥大である。この筋肥大には男性ホルモンが大いに関係し、減量に関しては女性ホルモンが大いに関係する。 元来、筋肥大を促すテストステロンは女性にはあまり分泌されない。そもそもが競技自体が「男性」のそれなのだ。さらに筋肉を美しく見せるための減量も女性には不利だ。女性は生存のために元々が脂肪が付きやすく、かつ落ちにくくなっている。第2章にも出てくる女性ビルダーは「生理が止まるほどの減量を行ってから本当の減量が始まる」と述べている。これも明らかに男性性が強い側面である。

第1章、第2章だけを読んだ感想だけであれば、女性にとっては決して良いとは思えないが、競技ボディビルディングはある意味最高の男性像を追求するスポーツだととも言えるであろう。しかし、第3章でその認識を打ち砕かれる。

スポーツに求めるもの

なるほど確かに男性に向いたスポーツであることは確かであり、本書にも何度も登場する表現である「ギリシャ彫刻のような」肉体を得ることは男性にとっては理想に思える。しかし、現在の「競技ボディビルディング」が果たしてその「理想の男性」を目指しているのだろうか。第3章がその闇を描いている。

第3章では薬物規制が厳しくプロ制度がない日本のボディビルディング界を飛び出し、本場米国でプロボディビルダーを目指すある選手を追う。その選手は筋肥大のために複数の薬物を用いているわけだが、この危険な行為も彼は「バスケットボールと同じでバレなければファールではない」と語る。私には、もはや理想の男性の姿はそこにはなく、より大きな筋肉を果てなく求める、筋肉ジャンキーに映った。

私達がスポーツに求めるものはなにか。少なくとも私は、自然な食事のみを行ってトレーニングをし、人間が出せる最高の性能を発揮することである。自然な食事の定義は難しい。サプリメント類などは決して自然な形ではない。しかしながら、栄養素として食物から摂取できるため、ここでは自然な食事の中に含めても良いと考えている。一方で本場米国での競技ボディビルディングはその基準からは外れている。本書内でも一時期日本のように薬物使用の制限を厳しくしたことがあったが、おかげで選手のサイズがダウンし、客足が遠のいたために、基準を戻した、という記述があった。 私がスポーツに求める基準を敷いている日本の競技ボディビルディングは良いと思うが、世界的な基準が統一されていないために、「スポーツとして」日本選手が勝てないという悲しい現実があった。

ボディビルディングは自己破壊的アート

本書全体を通じて、「もはや競技ボディビルディングはスポーツではなく自己破壊的なアート活動」であるという感想を得た。決して自己の生命にとって安全ではない薬物を摂取してまで自らの肉体を理想の形に作り上げる行為は、ドラッグによる幻覚作用の中にアーティシズムを求めるアーティストのような印象を受ける。

終章で健康維持のためにボディビルディングを行っているという、シニアボディビルダーの話が描かれている。この章は、作者が競技ボディビルディングがもう一度「スポーツ」に回帰することを願って書いたものなのかもしれないと思いながら、本書を読み終えた。