はじめに
こんにちは、Python界の情弱です。過去3回行われてきたPyJongですが、ついに都内を脱出し、東北は宮城で開催されました。いつものメンバーである @moriyoshi, @takabow, @kuenishi で、今回のホストである @hiroki_niinuma (以下、団長)のお宅へおじゃまし、麻雀だけでなく、蔵王、女川などへ連れて行ってもらいました。2日間、運転しっぱなしだった上に宿まで提供して下さった団長に本当に感謝です。
過去のPyJong
9/22 (Sat.)
東京出発
- 前日夜はワイン飲んでやばかったけど、なんとか6:30に起きれてよかった。
- 7:30に東京駅に着いたら @kuenishi も @takabow もすぐに集合場所に来てびっくり。みんな偉い!7:56東京駅発のはやてで仙台へ。
- 新幹線ではコードを書いたりしていた。 @takabow と @kuenishi はネットしたり寝ていたりした。
宮城着&蔵王
- 10:15 多賀城駅着。団長と前日入りしていた @moriyoshi と合流し、一路蔵王へ。蔵王に行く途中は天候が危ぶまれたが、写真の通りしっかり蔵王のお釜は見ることが出来た。こいつはすごい。
名取市
- 16:00 名取市に着く。海岸線そばまで来て、この目で初めて1年半前の震災の被災地を見た。「復興はまだまだだ」という言葉は聞いていたし、頭では理解していた。が、実際にその光景を目の前にすると思考が停止する。がれきは凡そ撤去され、残っているのは更地だったが、草が生い茂るその隙間からは家屋の基礎が見られ、いかに津波の勢いが凄まじかったのかが一目瞭然だった。
- 見渡す限りに平地が広がっていたが、そこでは1年半までは間違いなく建物が立っていて、人々が生活していた。でもいまはただ草が生い茂るただの更地だ。復興などはしていないし、いつのことになるかはわからない。この光景を目の前にして、自分に何か出来るかと言われたら、情けないけど僕には何も出来無いと思った。
- もう東京では震災のことは皆思い出のように話すし、実際自分もそういうところはあった。けど、現地では復興してはいない。被災地では、ただ物が無くなっただけだった。
- 名取市から団長の家に戻る間も、延々と道路の両側に更地が続いた。延々とという言葉が本当にふさわしかった。取り壊されていない建物も、近づくにつれ、津波でまるごと中がさらわれたことが分かり、立派な家も今は鳥の巣になっている状況を見て、やるせない気持ちになった。
夕食&麻雀
- 17:00 団長宅に帰宅。着いて早々に団長宅のジム*1でなぜか加圧トレーニングをすることに。腕が破裂しそうなほど痛くなる。*2
- 18:30 とりあえず練習で1半荘やることに。が、僕はなんと三色同順をテンパってたはずなのに、イーシャンテンの状態で立直してしまっていた。小学5年生以来のチョンボに凹む。本当にへこんだ....
- 19:30 気を取り直して牛たんを食べに行く。牛たん定食は美味しかった。コンビニで酒などを買い込み団長宅へ戻る。
- 21:30 いよいよ麻雀開始。今回のルールは次の通り。
- 喰いタンあり
- 後付けあり
- ダブルロンなし
- 赤なし
- 25000-30000
- ウマ5-10
- ドボン10000
- 焼き鳥なし
@moriyoshi | @ymotongpoo | @takabow | @kuenishi | @hiroki_niinuma | |
---|---|---|---|---|---|
1回戦 | -62 | -8 | +10 | +60 | |
2回戦 | -4 | -27 | +48 | -17 | |
3回戦 | +27 | -67 | -15 | +55 | |
4回戦 | -23 | +51 | -34 | +6 | |
5回戦 | -16 | -22 | -1 | +39 | |
合計 | -105 | -22 | +23 | 0 | +104 |
- 今回のハイライト
- 団長宅の自動雀卓は本当に素晴らしい
- @moriyoshi の少牌まさかの再来(第1回戦)
- 団長、引き強すぎでボロ勝ち(第1回戦)
- @takabow がドラ拾いまくりでボロ勝ち(第2回戦)
- まさかの満貫、倍満、倍満の3連発で @takabow 東2局でハコ(第3回戦)
- @takabow 大役当たりまくりでボロ勝ち(第4回戦)
- 皆が @moriyoshi の揚げ足とりすぎ(第4回戦)
- 酔っぱらい @kuenishi が暴言を吐きまくり&いたずらし過ぎ(第5回戦)
- 終わってみれば朝の5時過ぎだったので布団に入り翌日に備えた。
9/23 (Sun.)
- 朝は10時起床。11時半頃に女川町を目指し出発。
- 12:00過ぎに女川町到着。昨日の名取市もすごかったけど、女川町でも凄まじい光景が広がっていた。がれきは撤去されたものの、ビルが横倒しになっていた。
- 地震の時は2枚目の後ろに見える高台にある病院の1階部分まで浸水したとのこと。どれだけ津波が高かったのか、水面の高さと、目の前に転がっているビルを見てその威力を想像し、絶句。
- 12:30 お昼に生うにいくら丼を食べて大満足。海の幸が本当に美味しい。
- 13:30 女川町にあるホテルの露天風呂に日帰り温泉で入る。これもまた海を眺める露天風呂で大変良かった。
- 14:30 女川原発での見学が始まった。 #pyjong で予約をしていたため「あ、ぱいじゃんの方々ですか?」と言われたのが大変おもしろかった。
- 女川原発ではなぜ津波被害が発生しなかったのか、その説明を聞いた。江戸時代以前の文献まで参照し、想定津波高さが9mで最大14.8mでも防げるように設計したことで防げたとのこと。ただ地震の際の地盤沈下で13.8mまで下がったため、実際はギリギリで防げたというのが正しい。現在は地盤沈下した1mに加え2mを加え、堤防高さを17mへ上げているとのこと。
- 外部電力は5本の送電線(1本で3機の原発の冷却作業が可能)+8機のディーゼル発電機(内2台稼働で冷却作業が可能)があった。当日は外部電力が1本生きていたためそれで無事に冷却作業を完了できた。
- 六ケ所村のプールが残り3%しか無い*3という件について東北電力ではどのように対応する予定なのか、という質問をしたが、東北電力側では六ケ所村の容量が足りていないという認識はしていないこと、六ケ所村に関しては他の電力会社と調整しながら送っていること、使用済燃料は冷却期間10年をおいて六ケ所村に送ること、それ以外は回答を得られなかった。この問題は原発には確実について回るはずなので、あれだけ原発炉自体への安全対策を強調していただけに、不安を感じた。
- 17:30 団長宅へ帰還。帰京の準備。
- 18:30 タクシーで多賀城駅へ。団長も仕事で東京に行くため一緒に。
- 帰りは20:17仙台駅発のはやぶさで東京へ。5人いたため、席を順繰りに移動しながら椅子を回して2時間楽しい時間を過ごす。
- 23:00帰宅。お疲れ様でした!
感想
2日間運転していただいて、宿も提供していただいた団長には本当に感謝です。@moriyoshi がウニを食べそこねたので、またリベンジで行かなければいけないですね。本当に楽しかったし、色々と見ることが出来て本当に有意義な旅でした!