- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/03
- メディア: 文庫
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iPhoneで青空文庫を読んでみようと思い、「こころ」を一通り読んでみた。本の感想とiPhoneで読んだ感想。
背景
夏目漱石の作品で本郷界隈のものは多く、本作品もそのひとつ。恥ずかしながら大学入学当時から本作品のあらすじは知っていたもののこれまで読んでいなかったので、多くの知った地名が登場し親しみを覚えた。と同時に100年前の同じ年頃か自分よりも若い年代の人々の価値観と自分たちのそれとの差異を感じ、特に恋愛観に対しては心苦しささえ覚えた。
「私」が表す大正という新しい時代と「先生」という明治という時代の狭間で生きた漱石のこころを表しているのか、明治への決別を感じた作品。
なお以後特に断りのない限り、「私」はこころの主人公を指し、やまぐちを指すには「自分」を用いる。
先生と私
物語は主人公の「私」が海水浴に来ていた「先生」に惹かれ、交流を持つところから始まる。人なつこく、好奇心が強い私の性格が自分と重なりぐっと物語に引き込まれてしまった。これは物語全体を通していえることだが、夏目漱石の文体は100年たった今でも読みやすく、自分が言うのもおこがましいがそれだけで書き手の力に感服してしまった。
この好奇心が強い私のやりとりが後に先生が秘密を明かすに至るきっかけであり、うるさすぎない伏線で読んでいて心地よかった。
両親と私
時代が変わったとはいえ、親が子供に対して持つ期待というのはさほど変わらない。大学進学率は上がったものの、良い大学を出たら良い就職をして欲しい、というのは普通の親なら仕方のないことでしょう。
また年老いた親との関係を考えたとき、親が逝った後の事というのはやはりいつの時代においても、子供にとって一つの大きな共通の懸念でしょう。
この二つのテーマをこの章で扱った漱石の意図は何かと考えた時に、自分は明治という古い時代の価値観を引きずった親の世代と大正という新しい時代の価値観を持った未熟な私という世代間の縮図とともに、先生という両方の時代の葛藤に生き次の世代への緩やかな期待と彼らの世代の終わりを淡々と見つめる悲しさを意識した。
先生と遺書
私が田舎から東京に先生(の亡骸)に逢いに行く車中で読む遺書をひたすらに読む。これまで先生が私だけでなく、周りの全ての人に秘密にしてきた先生のこころの暗部を私に曝け出し、これからの時代を表す私に対して古い時代の終わりを示す先生の心持ちを酌むと、やるせなさが胸に詰まる。
無論時代云々は自分の解釈に過ぎず、遺書そのものは先生が過去に経験した友情と恋愛の狭間での葛藤と、結果として友人Kを死に至らしめてしまった事に対する罪悪感、そしてその罪に対しての償いを含めたこれまでの決意が粛々と語られている。
程度の差こそあれ、友情と恋愛の狭間での葛藤というのは青年期での共通のテーマであり、その描写がこの章ではありありと語られている。