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海水パンツとゴーグルで、巨万の富を築きました。カリブの怪物、フリーアルバイター瞳です。

「宗教なんかこわくない!」読了

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)

宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)


最近家にある橋本治著の本をよく読んでいます。この「宗教なんかこわくない!」は入社前に買ったにも関わらず途中までしか読んでいなかった作品。近頃復活してきた読書熱にあわせて「二十世紀(上/下)」に続いて読了。実はこの本は2回読了しました。それくらい読まないと表現がわかりにくい作品。

作品の背景と私

手元にあるのは文庫版だけど、この本が発行されたのは1995年7月。ちょうどオウム真理教の騒動が起きて麻原彰晃(松本智津夫)が逮捕されたのが1995年5月16日。忘れもしない小学校の修学旅行出発日の朝だった。
母とともに早朝に起床し、朝食を食べてながら見ていたTVには、ちょうど機動隊が第6サティアンの鉄の扉にグラインダーを押しつけ火花を散らせている場面が映し出されていた。小学生ながらあの瞬間に何かが終わったんだなあと感じたのを覚えている。

オウム真理教」と「会社」

著者は数々の”オウム真理教事件”の犯人が逃走中に律儀に領収証をもらっていたことからはじまって、そもそもが宗教が存在する必要がなくなった現代においての「会社」との比較を行い、「宗教」と「会社」と類似点を挙げている。著者がここで会社との比較の中で明確にしているのは「オウム真理教」自体を組織と考えれば、数々の犯罪に関しては理論的にとらえられるにも関わらず、そこに「宗教」という要素が入ると途端に把握できなくなる、という現象である。
では「宗教」とはなんなのか?という問いから次節以降が続く。

「宗教」とは「ism」である

英語で「仏教」を指す言葉は"Buddhism"であり、「イスラム教」をさす言葉は"Islamism"である。また社会主義は"socialism"となる。英語圏(特に発祥のUK)はキリスト教の国だからここでキリスト教は"Christianity"となる。何を言わんとするかというと、ある宗教の外側になってしまえば、「宗教」と「主義(ism)」は同じようなものであるということ。
これはいわば単純に形式の相違にすぎず、ある者の考えを考えを放棄した者が従うという図はもはや宗教だけでなく、会社という組織においても同じであるという図式をもう一度ここで強調している。

「内面に語りかける宗教」と「社会を維持する宗教」

この2つの対立はそのまま「生産を奨励しない宗教」と「生産を奨励する宗教」という構図に当てはめることができる。たいていの土着の宗教というのは後者のものであり、仏教は元来は前者のもの。生産を奨励しない宗教が繁栄してしまっては、生活の維持は当然大変になるから、そこで本地垂迹という考えが浸透することでうまく各地方にとけ込んでいったという流れが面白い。
またこの「仏教が内面に語りかける宗教である」という部分に対する説明の中で、発祥であるインドのカースト制度との関係性といかに仏教の考えが当時の人々にインパクトを与えたか*1が非常にわかりやすく書いてあった。

様々な論点

橋本治氏が序盤で「自分が宗教と思われないようにわざとわかりにくく書いています」と言った通り、この本は本当に読みにくい。伏線があちこちに張られて、収集されたのかされていないのか読み返してもわからないこともしばしば。
そんな中で上で話した以外に自分が面白いなと思った論点は

  • 考えることを放棄した現代人
  • 「宗教法人」という国家が決めた枠に収まっている時点でもはや宗教は特別なものでなくなった
  • オウム真理教の美意識について
  • 仏教とキリスト教における輪廻に対する考え方の相違

などです。何回読んでも面白い。

*1:それまでは上位のカーストの人間だけが悟りを開けると信じられていたのが、ゴータマ・ブッダが「誰もが輪廻から外れ『死』を迎えることができる」としてしまった