こんにちは。Google CloudでオブザーバビリティやSREを担当していたエンジニアです。明日でこう名乗るのは最後になります。明日、2024年10月31日付でGoogleを退職します。
— Yoshi Yamaguchi (@ymotongpoo) 2024年10月30日
かしこまった挨拶
Googleに入社してから10年目までの話は次の記事で一旦まとめているので、改めて振り返ることはしません。
上の記事を書いたのは新型コロナ禍真っ只中で、カンファレンスなどもみなオンラインばかりで、人とのつながりがなかなか難しくなったころでした。その後、ワクチン開発や発症後の処置方法の確立、新型コロナウイルスの5類感染症への移行などがあり、オンラインからオフラインへの移行が再び起こりました。Google Cloud Innovatorsも立ち上がり、上記の記事の後の数年はこのコミュニティの活性化を大きな柱として仕事をしていました。
そして、唐突に退職に至ったわけですが、これも仕事が嫌になった、とか、評価が悪かった事による解雇とかいった理由ではなく、諸般の事情(主に家庭)から諸々検討した結果、そうなりました。13年半勤めた会社をこのような形で退職することになるとは思いませんでしたが、逆にこういったことがないとずっとGoogleで働いていたと思います。入社時と比べると企業の大きさは社員数で見ても8倍以上*1、売上高では10倍以上*2となりました*3。在籍中にはCEOが3回変わったことも含め、企業の文化も大いに変わったところもあり、残念ながら多くの良いと思っていた文化が失われました*4。しかし、依然として社員として働きやすい企業であることには変わりません。技術インフラも素晴らしいものが多く、いまのところまだ世界の先端をゆくものも多く見られます。
社内で仕事をご一緒した同僚も素晴らしい方々ばかりでした。職務上、開発、マーケティング、営業、技術営業、法務、PR、コンサル、サポート*5といったさまざまな職種の方々とご一緒する機会が多くあり、さらに自分の場合はそれが複数の製品においてありました。曲が強い人、いつでも穏やかな人、情熱ほとばしる人、信じられないほど思慮深い人など、みなそれぞれに個性的な同僚ばかりでした。振り返ってみると、こういった一人ひとりがGoogleの強さであると、あらためて感じています。国内外問わず同僚という枠を超えて多くの友人ができたことはかけがえのない財産です。
また社外の多くの方にもお世話になりました。YouTubeではコンテンツホルダーのみなさまと、Partner Developer Relationsでは初期採用事例として実装に協力してくださった企業の方々と、Cloud Developer Relationsではさまざまな顧客企業の方々と多くの関わりがありました。多くの場面で実際の利用者の視点からの製品フィードバックをいただき、ときには懇親会でざっくばらんなお話をしたりと、大変親しくさせていただきました。
コミュニティのみなさまにも大変お世話になりました。多くの技術カンファレンスに登壇する機会がありましたが、登壇者として、参加者として、スポンサーとして、多くの方々との関わりがありました。Google関連コミュニティも大変楽しく関わることができました。Google Developer Groupの皆様にはイベントで各地域にお邪魔した際に大変良くしていただきました。Google Developer Expertのみなさまには月例のミーティング、あるいは全然テクノロジーが関係ないBBQといったアクティビティなどで親しくしていただいたとともに、さまざまイベントでのみなさまの登壇やオンラインでの発信からは多くのことを学びました。何気ない会話が私の業務に生かされたこともたくさんありました。Google Cloud Champion InnovatorsのみなさまにはGoogle Cloudの多くのイベントでお世話になりました。これからもCloud Innovatorsの発展を楽しみにしております。
Googleという会社は、ご存知の通り、とんでもなく多角的な事業展開をしている企業です*6。
これらすべてを行っている企業は2024年現在、ビッグテック/ハイパースケーラーと呼ばれる企業を含めても他に存在しません。そのような企業で、しかも各ビジネスが成長する中で、それを傍らで見ることが出来たというのは非常に幸運なことだったと感じています。特にGoogleにおいてDeveloper Relationsという部署は、常に各種製品の開発チームと関わりながら、ときには一緒になって開発を行うことができる、稀有な部署でした。(主要なサービスだとGoogleマップ以外には何らかの形で関わった事がある)さまざまなプロジェクトの思い出を数え上げればキリがありません。2013年後半から11年もの間、デベロッパーアドボケイトとしてGoogleで働けたことは私のキャリアにおいて大きな財産です。
退職することにはなりましたが、Googleが提供するサービスや製品が日常生活に欠かせないインフラとなっている今、Googleという会社との関わりが途切れることはありません。1人のユーザーとして、これからもGoogleが素晴らしい製品や技術を提供し続けてくれることを願っています。
13年半、ありがとうございました。
とりとめのない雑記
訪問したオフィスとか
訪れたオフィスの一覧を思い出して書いてみたけど、結構いろいろなところに行かせてもらった。ロンドンとニューヨークのオフィスが好きだった。パリ、シアトル、チューリッヒは結局行くきっかけがなかったのが残念だった。また新しい本社ビルも結局見ることはなかった。
San Brunoのオフィスは買収したYouTubeの本社をそのまま使ってたんだけど、食堂に入ってた会社の質が良くなくて、数多あるオフィスの中でもカフェは特に不人気だった。しかも外に食べに行くにしても歩いていける場所には選択肢が無くて、YouTubeのチームメイトはかなり食事に不満を持っていた。いまは改善されてるらしい。
- Tokyo (Roppongi, Shibuya)
- Seoul
- Taipei
- Hong Kong
- Manila
- Hyderabad
- Kuala Lumper
- Singapore (Asia Square, Mapletree)
- Jakarta
- Sydney
- Melbourne
- London (King's Cross, Victoria)
- Amsterdam
- Copenhagen
- Berlin
- San Francisco
- San Bruno
- Mountain View (Sunnyvale)
- Los Angeles (Beverly Hills, Playa Vista)
- Chicago
- New York
あと自分は正社員の中でいうと勤続年数が全社員の上位6%くらいだったらしい。逆に13年以上在籍してまだ上位に5%以上の長期在籍者がいるというのに驚いた。
大変だったことなど
楽しかったことはたくさんあって書ききれないので、話す機会があればまたそのときに。
YouTube Liveの配信サポート
YouTube Liveがリリースしてまだ間もない頃にLIVE福島の郡山の回を現地で配信サポートしていたら、ユニコーンがYouTube Live使ってリモート参加することになった。嫌な予感が的中して、現地で配信担当してた業者が配信をエンコードをモニタリングも兼ねてるノートPCで行い、WiFi経由で、バックアップ回線なし、モニタリングと同系統の回線を使って配信してくれたおかげで映像はカクつきまくって音も飛び飛びで会場はブーイングの嵐。明らかにデータ送信側の問題なのに、受信側のYouTubeのせいにされてめちゃくちゃ腹たった上に技術側の人間が現地に自分しかいないから、どうにかしてくれと言われてめちゃくちゃ困った。
あと視聴者がすごく多くなって急にラストワンマイルでのレイテンシーがひどくなったという報告を受けたので、現地からニューヨークにいたYouTube SREとGoogle Meetで話しながら対応したのはしびれる瞬間だった。
出張中に車上荒らしにあった
本当に面倒だった。
Google Now カードの対応
Googleアシスタントの前身となるGoogle Nowという機能があって、その中にサードパーティ企業がAndroidやiOS向けのGoogle検索の上部にカードを表示できる機能があったんですが、ある企業が実装がうまくいかないというんでサンプルコードを書いて提供したところ、あろうことかそのコードをそのまま本番稼働させて事故になった。いまはもうサービスごと消えたんで良かった。
チェンナイのホテルで衰弱
このときの出張が、そもそも旅程が強硬だった上に、ハイデラバードまでは同僚と一緒に移動してたのがチェンナイへ行くのは自分ひとりで緊張感が高まっていた。全館カビ臭いホテルに着いてすぐに腹痛と下痢と熱に見舞われ、何も食べられずにベッドでポカリ飲みながら寝てたときは翌日登壇できると思えずしんどかった。翌朝には少し体調が回復したんで、なんとか登壇できて、その後のデリーへの移動もなんとかできたけど、とてもじゃないけど同じような旅程では行けないなと思った。案の定他の同僚も辛かったらしく翌年から旅程が変更になった。
干し芋
次の仕事
11月1日から新しい職場で働きます。